親 子 石
家族を想ってお参りされた父と子と母の石
石田三成の娘である辰姫は、津軽信枚の正室から側室へと地位が降格され、その後弘前藩が所有していた上野国大舘へ移されました。信枚は江戸への参勤交代の際には辰姫と会っていたそうです。兄である石田重成とは、大舘へ身を移す前に、現在の板柳町、鶴田町で密会をしてお互いの安否を確かめていました。当宮で密会をされた際、家族のように身を寄せ合うこの石を撫でてお互いの無事や石田家の安寧を祈ったそうです。この親子石については氏子地域で伝わっている話等をもとにしていますが、皆様もこの親子石を撫でて、良縁を祈念するとともに、切れることのない御縁を大切にしてください。大きな角のたつ石が父石、角の丸い大きな石が母石、中央で守られている石が子石であり、子石が埋もれているのは産まれてくる赤子を表しています。
縁 結 び
皆様の良縁を祈願する縁日を当宮では”えんむす日”とし毎月一度、赤い糸で縫製した御守りで巫女が白上姫と皆様の御縁を結びます。ご夫婦・ご家族・お仕事などもご良縁に恵まれますよう御祈願しております。
※御守の頒布は数に限りがある場合がございます。
2024年 えんむす日 日程
4月21日(日)/5月19日(日)/6月23日(日)/7月28日(日)/8月25日(日)/9月29日(日)/10月27日(日)/11月24日(日) 9時より
縁結びの御利益につきましては白上姫の由緒をご覧ください。
授 与 品
鶴田八幡宮の御神札、御守をお受けいただき心安らかにお過ごしください。
鶴田八幡宮への |
… |
鶴田八幡宮の御神札、御守をお受け当社で直接お受け頂くのが困難な遠方にお住まいの方や諸事情により当社へのご参拝が叶わない方々のために発送による授与品のお申し込みを承っております。(日本国内の発送となります) |
御札
日本では古くから、お正月にお迎えする歳神さまをはじめ、台所には竈神さま、井戸には井戸神さまなど、さまざまな神さまをお祀りし、日々の暮らしを支えて下さる神々の恵みに感謝してきました。現在では、伊勢の神宮の御札(神宮大麻)と氏神さまの御札、また崇敬神社があれば、それらの御札をお祀りすることが一般的となっています。
御守
神社で授かる御守には、種類や色、御祈願によって様々なご利益があります。厄除(魔除)をはじめ、家内安全や交通安全、健康祈願、学業成就、良縁祈願、安産祈願など、様々です。その御守は大神様の御力を頒けていただいたものであり、身につけ持ち歩いたりすることで、厄災から身を守ったり、御祈願を成就させるものとなります。当宮でも様々な御守を頒布しておりますが、縁結びの御守については別途お問い合わせください。
御朱印
古くは「納経御朱印」 などと呼ばれ、経典を写経したものをお寺に納めた証として受ける印でした。現在ではお詣りされた証として、全国各地に様々な御朱印があります。当宮でも青森県の良さが伝わるよう御朱印を奉製し、頒布しております。
遠方にお住まいの方など参拝が困難な場合には遥拝をしてお受けください。
白 上 姫 の 由 緒
昔、富士見湖の近くに清水城がありました。そのお城の城主は忠勝というとても気の優しい若者でした。
ある年の桜のちる頃、忠勝は数人の家来と一緒に狩りに出かけました。たくさんの獲物をとり、昼飯を食べていたところ。遠くに煙が立ち上るのを見つけました。
忠勝「おや、あんなところに家があったかな?おい!みなのもの、あそこで茶でもごちそうになろう。」
草深い中にある家につくと、馬に水をやりました。
忠勝「突然ですまんが、茶を一杯、恵んでいただけないだろうか。」
そこへ、その家の娘がお茶を持って現れました。腰まである長い黒髪、山百合のような白い肌、忠勝はその娘に目を奪われてしまいました。
忠勝「なんと美しい、そなた、名をなんと申す。」
白上姫「白上と申します。」
忠勝「白上姫・・・また、茶をいただきに来てもよろしいか?」
白上姫「いつでもお越しください。おいしいお茶を用意しておきます。」
こうして忠勝は、白上姫に会うために雨の日も風の日も一人で狩りに出かけるようになりました。
夏には、富士見湖で水浴びをしたり、ホタルを追いかけたりました。秋には、野山を歩き、木々のざわめきに耳を傾けたり、山ブドウや、アケビをとって食べました。冬には、いろりを囲んであったかい鍋にしたつづみをうちました。
次の年の春には、桜の下で花見をしました。 こうして楽しい日々はあっという間に過ぎていきました。
ところが、ある日、そんな二人をよそに、忠勝の親が、忠勝の結婚相手を勝手に決めてしまったのです。その結婚相手は、妙堂崎に住む琴姫という娘でした。 親の言う事に逆らえない忠勝は仕方なく琴姫と見合いをし、その後、結婚することに決まってしまいました。 結婚が決まった忠勝は、白上姫に会うことができなくなり、秋を過ぎたころには、ついに、白上姫を忘れるようになっていきました。
そうとも知らない白上姫は、以前、約束していた、忠勝の正月用の赤い晴れ着を縫っていました。
白上姫「今年の正月は、これを着て一緒に初もうでに行こうかな。」 「赤は忠勝さんに似合うかな?」 「これが縫い終わったら忠勝さんのところへ持っていってあげよう。」
晴れ着を縫っていると、この一年間のいろいろな楽しい思い出が頭をよぎり、忠勝に会いたい一心で疲れも忘れて、何日も何日も縫い続けました。秋が過ぎ雪が降り始めるころ、やっと晴れ着は縫いあがりました。 白上姫は縫い終わった晴れ着を大切に胸に抱き、山道を足早に城へと急ぎました。雪のちらつく日でしたが、きらきらと舞い落ちる雪がとてもきれいでした。
そのころ忠勝は、琴姫との婚礼の準備も終わり、いよいよ婚礼の日を迎えました。 普段は目にすることのない、豪華な料理の数々。城の中はいたるところに花が飾られ、それは、華やかなものでした。
城へはたくさんの人々がお祝いに駆けつけ、大変なにぎわいを見せていました。 晴れ着を胸に抱き城へ向かう白上姫は、その賑わいを不思議に思い、道行く人に尋ねました。
白上姫「何かお祝い事でもあるのですか?」
沿道の人「今日は城主様と琴姫様の婚礼の日じゃよ。」
白上姫は、自分の耳をうたがいました。
白上姫「城主様って?」
沿道の人「何をいっておる、忠勝様に決まってるじゃろ。」
その時、白上姫の手から、するりと赤い晴れ着がすべり落ちました。白上姫はしばらく動くことさえできませんでした。
白上姫は人目を避けて、元来た道を引き返しました。沿道の楽しそうな人々とは反対に、うつむいたまま、とぼとぼと歩いていました。ちらちらと舞い落ちる雪が白上姫の頭や肩につき、しっとりと冷たく濡らしていきました。過ぎ去った楽しい思い出が次々と心に浮かびましたが、雪のようにすぐに消えていきました。 ふと、舞い落ちる雪のひとつを手の平で受け止めると、あっという間にとけて、頬をつたってこぼれ落ちる涙と一緒になりました。 白上姫は、手のひらをじっと見つめ、溶けた雪をしっかりと握りしめるとまた、ゆっくりと歩きだしました。
気が付くと、そこは、忠勝との思い出の場所、富士見湖でした。
白上姫「ここでホタルをつかまえた・・・。あそこでは、水浴びをした・・・。忠勝さんにもう一度会いたかった・・・。」
ひらひら落ちる雪がホタルのようにも見えました。 忠勝とのこれまでの出来事を思い出すうち、いつしか、湖に足をふみ入れていました。すっかり体がつめたくなった白上姫にとって、富士見湖の水はむしろ、あたたかく感じました。
白上姫「ああ、なんてあたたかいのでしょう。まるで、忠勝さんのよう。」
白上姫は忠勝のふところに抱かれるようにそのまま、波紋を残して水中に消えていきました。
次の年の春、ある日のこと富士見湖の近くに住む村人がいつものとおり湖のほとりを散歩していると、小雨の降る霧がかった湖面に一筋の波をみつけました。
村人「んっあれは・・・白龍じゃ!白龍がでたっ!」
清水城の方角へまっすぐと湖面を進む白龍。そのあとに続く波はまるで長い黒髪のようです。 たちまちのうちに龍のうわさは村に広まり、白上姫が化身したものだと大騒ぎになりました。
このうわさはやがて、城主の耳にも入りました。
忠勝「この世に龍などいるはずはない、きっと何かの見間違いだろう。まして、白上姫の化身などありえないじゃないか。」
琴姫との幸福な生活で忠勝は白上姫の楽しい思い出すら忘れてしまっていました。しかし、この日を境に夜ごと、夢に龍が現れるようになり、眠れない夜を過ごすようになりました。 しばらくすると、忠勝は家来を呼び寄せ、言いがかりをつけては、切り捨てるようになりました。
夢か現実かみさかいがなくなり、ついには、琴姫をも切り捨ててしまいました。琴姫は、ばたりとその場に倒れ、琴姫の真っ白な着物は見る見るうちに赤く染まっていきました。 その赤く染まった着物を見た時、忠勝は、はっと我に返り、白上姫との約束を思い出しました。
家来たちや、琴姫を殺してしまったことや白上姫と交わした約束を忘れてしまったことは、悔やんでも悔やみきれません。
そして、自分を許すことができなくなった忠勝は、城を抜け出し、龍が出たという富士見湖に向かいました。 まだ、夜が明けきらない富士見湖は霧が立ちこめ、静まり返っていました。
忠勝「そうだ、ここでわしは、白上姫と楽しい日々を過ごしたのだ。いったい自分はなんということをしてしまったのだ。」
忠勝は、湖を目の前にして、白上姫との約束も、楽しかった日々も思い出し、涙を流しました。
そして一歩、また一歩と水の中に入っていきました。 霧が晴れたころに忠勝の姿はなくなっていました。
その後、忠勝の姿を見たものは、だれ一人としていません。 このことを嘆いた村の人々は、忠勝をはじめ、不幸な最後を遂げた人々を供養するために、湖にほど近い場所に戸和田神社を建て、毎年供養したということです。
富士見湖は、こんな悲しい出来事がまるでなかったかのように、またいつものとおり、鳥たちのさえずりの中、岩木山を逆さに映していました。
参考「メデタイツルタ」